【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
このホームページでは、ユング心理学やカウンセリングについての紹介をしています。

1Q84(book 1(4月ー6月))
村上春樹、待望の新刊。
村上春樹、河合隼雄に会いにいく
第1夜 「物語」で人間はなにを癒すのか/第2夜 無意識を掘る“からだ”と“こころ”

SINCE 2004.11.16
Counter
メニュー
RSS配信

 RSSリーダーで購読する

 メールで購読する


試験的にRSS配信をはじめました。
更新記録
更新記録ページの目次

・TOPページ記事更新
「第24回 意識と無意識」
(2009年07月01日)

生き方のヒント(更新)
(2009年07月01日)

・TOPページ記事更新
「第23回 主体性を脅かすもの」
(2009年06月17日)

・TOPページ記事更新
「第22回 はじめから決まっていること」
(2009年06月01日)

更新記録ページ06月分

・TOPページ記事更新
「第21回 社会とコンプレックス(後編)」
(2009年05月15日)

・TOPページ記事更新
「第20回 社会とコンプレックス(中編)」
(2009年05月04日)

更新記録ページ05月分

・TOPページ記事更新
「第19回 社会とコンプレックス(前編)」
(2009年04月17日)

・TOPページ記事更新
「第18回 人と人の間で-2(後編)」
(2009年04月02日)

更新記録ページ04月分

・TOPページ記事更新
「第17回 人と人の間で-2(前編)」
(2009年03月10日)

更新記録ページ03月分

・TOPページ記事更新
「第16回 起爆剤(後編)」
(2009年03月01日)

・TOPページ記事更新
「第15回 起爆剤(前編)」
(2009年02月17日)

・TOPページ記事更新
「第14回 生きてないからイライラする(後編)」
(2009年02月01日)

・生き方のヒント(更新)
2008年までの記事(分割)
(2009年02月01日)

更新記録ページ02月分

・TOPページ記事更新
「第13回 生きてないからイライラする(前編)」
(2009年01月20日)

・TOPページ記事更新
「第12回 人と人との間で」
(2009年01月08日)

・生き方のヒント(更新)
2007年までの記事(分割)
(2009年01月08日)

更新記録ページ01月分

・TOPページ記事更新
「第11回 感情とエネルギー」
(2008年12月25日)

更新記録ページ12月分

・TOPページ記事更新
「第10回 アレルギー反応や慢性痛との類似」
(2008年12月10日)

・TOPページ記事更新
「第9回 コンプレックスが見えてくる時」
(2008年12月01日)

・表紙の過去ログ
目次ページ作成
(2008年12月01日)

・TOPページ記事更新
「第8回 場とコンプレックス(3)」
(2008年11月20日)

・TOPページ記事更新
「第7回 場とコンプレックス(2)」
(2008年11月10日)

更新記録ページ11月分

・TOPページ記事更新
「第6回 場とコンプレックス(1)」
(2008年11月01日)

・TOPページ記事更新
「第5回 劣等感コンプレックス」
(2008年10月22日)

・TOPページ記事更新
「第4回 複雑な感情」
(2008年10月14日)

タイプ論
テンプレート変更と本文の修正
(2008年10月08日)

更新記録ページ10月分

・TOPページ記事更新
「第3回 修復しようとした試み」
(2008年10月01日)

「第2回 感情のカタマリ」
(2008年09月08日)

・TOPページ記事更新
「第1回 コンプレックスとは」
(2008年09月01日)
ユング心理学辞典
テンプレートの修正など
(2008年02月27日)

ゲシュタルト療法
 テンプレートの修正など
(2008年01月29日)

ライフサイクル
 テンプレートの修正など
(2008年01月25日)

「羨ましいということ」追加
(2007年05月08日)

・防衛機制に「麻痺」を追加
(2007年02月01日)

表紙の過去ログも作成)
(2007年01月09日)

・「はじめに」のページをスタイルシートに。
(2006年12月01日)

・TOPページ変更
(スタイルシート仕様)
(2006年9月15日)

「五感と暴力」
 「五感と心地好さ」

(2006年8月21日)

防衛機制
(2006年7月6日)

「キレる大人のメカニズム」
(2006年6月15日)

・サイトデザイン変更
(2006年04月)
ブックマークに追加する


今月の表紙…【2009年07月】



□「第24回 意識と無意識/コンプレックス」□


(第1回〜第23回は表紙の過去ログの目次ページからどうそ)


我々は思いがけないことに驚かされたり、悩まされたりすることがあります。普段スムーズにやれることが特定の状況ではやれなくなったり、意志に反した情動により振り回されたり、思考や動きが停滞したりもするでしょうか。

前回、「主体性」について触れましたが、これは「自分の意志や判断によって、行動しようとする態度」、つまり、意識できていること、自分の動きが意識の領域で捉えられている状態です。

ということは、主体性が脅かされている状態というのは、意識の外にある何かが関係していそうです。そんなものに影響されていると仮定できる。



<意識>とは、目の前の「それ」をつかまえるものです。目の前のリンゴを見て「リンゴだ」と認識したり、「わたしはパソコンで文字を打ち込んでいる」と自分で捉えたりする。ある意味では、「自分に説明できること」といえるでしょうか。

まあ、いちいちリンゴを見て「リンゴだ」と自分に語りかけることはないとは思いますが、後でそれをすることは可能ですよね。今、「インターネットで文章を読んでいる」と自分に説明する人はいないと思いますが、後でそれをすることは可能です。実際に言語化するかどうかは別にしても、言語化できるように捉えてはいる。

これは感覚的なものに対してもそうですね。それは「熱い」「冷たい」「やわらかい」「おいしい」など、言語化もできるし説明もできる。感情にしても、「心地好い」「不愉快だ」「楽しい」「腹が立つ」「好きだ」「嫌いだ」と言語化も説明もできる。そのように捉えられている。

意識する、意識されているとは、こういうことで、自我を中心としてまとまりを持って(自分がしたことや自分の身に起こったことが)自分自身に組み込まれている状態をいうのでしょう。



ということは、意識の外、<無意識>とは、どういう状態なのでしょうか?

上の論でゆけば、「説明できないもの」、「言語化できないもの」、そうなるでしょうか。実際、不可解な現象というのは、説明もできないし、言語化もできないから、不可解なのです。

といっても、「したこと」や「生じたもの」については言語化できるかもしれません。ただ、その前には「なぜか」というのがついてくる。

なぜか緊張した、なぜかうまくいかなかった、なぜか腹が立った、なぜか惹かれた――このようになってしまう。

十分に意識されている時は、こういった不可解さはないのですが、意識外からの介入がある時、「なぜか」といったものがついてまわることになる。まとまりを持って自分自身に組み込まれているとは、言い難い状態になります。



自分でしておきながら、あるいは、自分に生じていることなのに、説明のつかない現象が現われることがある。即ち、意識していない現象が表に現れてくる。

人間は思い通りに行動しているはずなのに、思い通りにならないものが生じる。これはいったい何なんでしょうか?



ここで少し目線を変えてみましょうか。上では「説明できないことが生じる」という点に注目しましたが、そうではなくて「生じていることをうまく説明できない」と考えると、どうでしょう。

意識していることについては説明できます。当たり前すぎて説明に困る、というのはあるにしても、不可解な現象に悩むといったものとは違う。ということは、うまく意識できていないから説明できない。意識の外にあるから、説明できない。無意識からの影響を受けているから説明できない、となるでしょうか。



無意識についての詳細は別の機会に譲るとして、ここで問題にするのは、人間というものは自分で経験しながらそれを意識しないことがある、無意識に留めることがある、ということ。

基本的に、人間は自分の経験したことを意識します。いちいち言語化や説明をしないにしても、あとで(ある程度)それをすることは可能です。そういう風に捉えることによって、経験したことを自分自身の体系の中に組み込んでゆきます。「わたしは――」と自分を語ることができる。

が、時に、それから外れる事象が現れることがあります。平易にいえば、忘れてしまう。後で言語化することも説明することもできない。

もちろん人間ですから、すべてを覚えておくわけにはいきません。それでは容量が足りなくなる。しかし、重要なことでありながら、忘れてしまう場合もあります。いや、ある意味では、重要であるからこそ、忘れてしまうと言った方がいいでしょうか。

忘れてしまうというか、言語化したり説明したり、そういう風に意識化することに障害が出てしまう。



ということは、不可解な現象に悩まされるというのは、その奥に、言語化したり説明したり、意識化することを妨げる何かが潜んでいる、ということになります。

それが何かは分かりませんが、そういう性質のものが隠れている。

「学校に行けない」「会社に行けない」「人前に出れない」、こういうのは表に出る症状なのですが、その奥に、上記のような性質を持つものが隠されていることが予想されます。



こういう症状に悩む人は、「何故だ? 何故なんだ?」と頭を抱えたくなると思うのですが、奥に隠れているものと表に現れている症状が必ずしも「=」(イコール)で結ばれているとは限らず、また、意識化を妨げるような性質を持つ以上、自分で奥にあるものを理解するというのは難しそうです。

が、これも考え方次第で、視点を変えれば、第三者なら分かる可能性がある、ともいえるでしょうか。

そしてまた、これは、本人であっても視点を変えれば分かってくる可能性もある、ということでもあるんでしょう。

表の症状にばかり注目すると奥には目が向かないのですが、「○○が怖い」ということと「まるで○○が怖いかのような」という違いに気づき、そこへの執着を薄めた上で見直してゆけば、何かが見えてくる可能性もあるかもしれません。


とはいえ、本人にしても、第三者にしても、症状にべったりくっついて、癒着したような状態になれば、見えるものも見えなくなる、と言えるのかもしれませんが…





(次回に、続く…)





ブログにて「タイプ論」を連載中です。(火曜・水曜)












ランキングに参加してみました






表紙の過去ログ 目次

<2009年>
2009年06月(2):「第23回 主体性を脅かすもの」
2009年06月(1):「第22回 はじめから決まっていること」

2009年05月(2):「第21回 社会とコンプレックス(後編)」
2009年05月(1):「第20回 社会とコンプレックス(中編)」

2009年04月(2):「第19回 社会とコンプレックス(前編)」
2009年04月(1):「第18回 人と人の間で-2(後編)」

2009年03月(2):「第17回 人と人の間で-2(前編)」
2009年03月(1):「第16回 起爆剤(後編)」

2009年02月(2):「第15回 起爆剤(前編)」
2009年02月(1):「第14回 生きてないからイライラする(後編)」

2009年01月(2):「第13回 生きてないからイライラする(前編)」
2009年01月(1):「第12回 人と人との間で」

<2008年>
2008年12月(3):「第11回 感情とエネルギー」
2008年12月(2):「第10回 アレルギー反応や慢性痛との類似」
2008年12月(1):「第9回 コンプレックスが見えてくる時」

2008年11月(3):「第8回 場とコンプレックス(3)」
2008年11月(2):「第7回 場とコンプレックス(2)」
2008年11月(1):「第6回 場とコンプレックス(1)」

2008年10月(3):「第5回 劣等感コンプレックス」
2008年10月(2):「第4回 複雑な感情」
2008年10月(1):「第3回 修復しようとした試み」

2008年09月(2):「第2回 感情のカタマリ」
2008年09月(1):「第1回 コンプレックスとは」
シリーズ:コンプレックス

2008年08月:「力、エネルギー――行き先を探して」
2008年07月:「問題の行動化と、意識化・言語化」
2008年06月:「幸せとはなんだろう?」

2008年05月:「はじめから決まっていること」
2008年04月:「悲しみについて…」
2008年03月:「座り続ける人」

2008年02月:「勉強は手前勝手にするに限る」
2008年01月:「風と心とたましいと…」

<2007年>
2007年12月:「強力なもの/ペンは剣よりも強し」
2007年11月:「範囲、領分 ―― 宗教、科学、心理学」
2007年10月:「ゆとり」

2007年09月:「人間、思うところ」
2007年08月:「言葉の向こうにあるもの」
2007年07月:「私たちの中の、幼い子…」

2007年06月:「僕らなりの悪…」
2007年05月:「カタチにするチカラ」
2007年04月:「サクラ咲く季節…」

2007年03月:「練習と過程…」
2007年02月:「いっぱいいっぱいの時は…」
2007年01月:「愚公山を移す」

<2006年>
2006年12月:「棄てるのは…」


◇ダイエットとカウンセリング
◇価値ある人
◇心の掃除
◇一歩踏み出す
◇カウンセリングとは?
◇禅とカウンセリング
◇花
◇自分自身を大切に…

◇おわりに
◇注意事項
◇第一章『心理学の役割』
◇第二章『タイプ論』
◇第三章『コンプレックス』
◇第四章『無意識の領域』
◇第五章『心像と象徴、イメージの意義』
◇第六章『夢分析』
◇第七章『ペルソナとアニマ・アニムス』
◇第八章『自己と個性化の過程』

◇補講  『対立する要素と全体性の回復』
◇記事  『心理療法の持つ可能性、その懐の深さ…』
◇「元型」
◇「自我」
◇「ペルソナ」
◇「影」(「影」、「影とペルソナ」、「投影」、「もう一つの影」)
◇「コンプレックス」
◇「劣等感コンプレックス」
◇「アニマ・アニムス」
◇「トリックスター」
◇「個性化/個性化の過程」
◇「共時性」
◇「無意識/個人的無意識/普遍的無意識(集合的無意識)」

◇「ゲシュタルト療法」
シリーズ:「タイプ論」
      「エニアグラム」
      「人間と象徴」

<アーカイブ>
「ゲド戦記U こわれた腕環」感想
「ゲド戦記」感想
「働きマン」感想
「地球へ…」感想

「心理・教育のアーカイブ」
・アイメッセージ
・イライラとの付き合い方
・病気が教えてくれること 他
◇「幸せのカタチ」
人は、何かしらの、幸せのカタチを持っています。しかし、そんな素敵な幸せのカタチも、時に、破綻することがあります――

◇「コンプレックス、その破壊と創造」
自我を脅かすものとして、「影」や「コンプレックス」があります。では、「影」や「コンプレックス」が活動しているのは、どんな時でしょうか?

◇「善悪の彼岸」
善いもの悪いもの、善いとされていること悪いとされていること、世の中にはいろいろありますが、何が善くて何が悪いかは、そうそう簡単には判別できないのかもしれません――

◇「立ち位置とか」
人間、立つ位置によって、見える景色は変わるようですね――

◇「You are OK、I am OK」
人は疲れた時、どうも自分を責めてしまう傾向があるようです――

◇「同じじゃないということ――同じと違うの向こう側」
私たちは、「同じであること」で安心します。それは大切な事です。でも、それは大事であると同時に、半面に過ぎません。もう一方の、大事な半面もあります――

◇「逃げ道」
怒る時、叱る時に必要なものに、「逃げ道」があるかもしれません――

◇「キレる大人のメカニズム」
どうも、「キレる」ということと、「受け容れられない」ということは、密接に関係しているようですね――

◇「五感と暴力/五感と心地好さ」
五感に関するもの、それはちょうどいい感じだと、心地いいんですが、逆に、それが度を越すと、暴力的になってしまいます――
◇ページ1 : (「人生の奥義」「弱い私、足りない私」ほか)
◇ページ2 :(「価値ある人」「雨降らし男」ほか)
◇ページ3 :(「表現方法、そのかたち」「痛みというシグナル」ほか)
◇ページ4 :(「不安の正体…創造の病」「励ましも…」ほか)
◇ページ5 :(「受け容れるということ…」「信じて待つ」ほか)


◇『ゲシュタルト療法とは?』
ゲシュタルト療法とは、成熟した人間像の確立を目指したもので、「成熟した人間というものは、自分らしく行動することができ、自分らしく生きることができる人格の持ち主である」という考えから成り立っています――

◇『全体性(ゲシュタルト)の回復』
ゲシュタルトという言葉は、ドイツ語で「全体のかたち」「全体性」という意味をさすそうです――

◇『ゲシュタルト療法の九原則』
それでは、具体的に「ゲシュタルト療法の原則」を見ていきましょう――

◇「はじめに」
自我の問題――

◇「乳児期」
基本的信頼 vs 不信。人間の土台。

◇「幼児期」
自律性 vs 恥。芽生え。

◇「児童期」
自発性 vs 罪悪感。やる気。

◇「学童期」
勤勉性 vs 劣等感。取り組み。

◇「思春期・青年期」
アイデンティティー vs アイデンティティー拡散。自分とは。

◇「成人期」
親密性 vs 孤独。生活のカタチ。

◇「壮年期」
世代性 vs 停滞性。世代間のつながり。

◇「老年期」
自我の統合性 vs 絶望。集大成。

◇「終わりに」
人の生き方に明確なモデルはありません――


◇「基本的信頼 vs 不信」
人間の生きる基盤、「満たされる」ってこと――
◇プロローグ
◇抑圧
◇同一視
◇反動形成
◇逃避
◇投影
◇合理化
◇補償
◇置き換え
◇ベクトル

◇その他の防衛機制

◇終わりに…
日記より、『生きるヒント』になりそうなものを抜き出しています。
良寛さんの残したものに「戒語」というものがあります――

うまく表示されない場合は、こちら




ページトップへ↑

Copyright (C) 2004〜 南方城太郎、城太郎日記 All rights reserved.

壁をブチ破れ、さすれば能力は格段に跳ね上がる!!



検索エンジン/検索サイト紹介
 

Yahoo! JAPAN   SEO対策ディレクトリ  検索サイトiscle 個人サイト検索エンジン『あったかNAVI』 
ブログパーツ アクセスランキング