【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
このページでは、「ゲシュタルト療法的な生き方」についての紹介をしています。

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第1夜:「物語」で人間はなにを癒すのか/第2夜:無意識を掘る“からだ”と“こころ”
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【ゲシュタルト療法とは?】


ゲシュタルト療法とは、成熟した人間像の確立を目指したもので、「成熟した人間というものは、自分らしく行動することができ、自分らしく生きることができる人格の持ち主である」という考えから成り立っています。

逆に、「未成熟な人間とは、自分の意見を言ったり、感情を表現するのが苦手で、そもそも自分の気持ちがよく分からない、そんな自分に悩んでしまう――そのような人格の持ち主」となるでしょうか。
(まあ、誰でもそういう部分は少なからず持つとは思うのですが…)

ただ、それはいい悪いの問題ではなくて、何らかの要因によって、目詰まりが起こっており、「今」を生きることができないでいる――そういう捉え方もできるかもしれません。

目詰まりにより、先に進めず、過去に生きていたり、過去に縛られていたり、
故に今を生きられず、堂々巡りを繰り返してしまったり、
「何故?」にこだわるあまり、「今」の感情、「今」の自分に起こっているものを、感じ取れなくなったり、そういうこともあるかもしれません。



・自分の思っていることを、なかなか人に伝えられない。
・嫌なことを嫌と言えない。
・知らず知らず、自分の感情を殺してしまう。
・それ以前に、自分の本当の感情が分からない。

――こういう人は、意外と多いと思います。

その根底として、
・今の自分を感じ取れない。
・今何をしているのか?
・今何を感じているのか?
・悲しいのか? おかしいのか? つらいのか?
・今の自分に何が起こっているのか?
それらがどうも分からない。
(改めて考えると、分からない。感じ取れない)

そんな状態から、目詰まりを取り除いて(あるいは目詰まり関係無しに)、今を生きてやろう、今を感じてやろう、そして成熟した状態へと変容しよう、というのが、『ゲシュタルト療法』の試みです。

過去に生きるのではなく、今を生きようとする。
過去に囚われるのではなく、今を感じる。
今までのパターンや、無限の環というものを打破するために、今を感じてやろう、今を体験してやろう、そういう試みです。



成熟した人格の持ち主は、はっきりと自分の意思を伝えることができます。
これは何も「ずけずけものを言う」ということではありません。
相手に配慮した上で、自分の意思を示したり、自分を表現することができます。

一方、気持ちを伝えるのが苦手な人は、相手の気持ちを考えすぎたり、場の雰囲気を気にしすぎたり――そうやって自分の感情まで殺してしまいがちです。
(ある意味、自分殺しでしょうか)
感情を殺し、自ら人形のようになっているかもしれません。

社会で生きる以上、このような気遣いもある程度は大切ですが、あまりに自分の感情を抑えすぎたり、更に進んで、自分自身というものまで殺してしまっては生きた心地がしません。
自分を、自分の存在を、世に示すこともできません。
まるで、死んだようになるかもしれません。

それよりは、自分自身のことも、周囲のことも承知した上で、

・自分の気持ちを相手に伝えられたり、
・自分の気持ちを自分で感じられたり、
・心(無意識)の要求を知った上で、何をするか判断したり、

そうやって、「自分らしく生きる」方が気が利いているように思います。

このように、「自分の気持ちを知り、自分らしく行動できるようになること、自分らしく生きること」がゲシュタルト療法的な生き方です。

(ある意味、「私は生きてるよ〜」と叫ぶことでもあるのかもしれません。叫ぶ→示す、表現する)

その為にも、「今」というものを感じ、生きることを、体験していくんですね。



上記のように、ゲシュタルト療法の目的は、「その人の人格の持続的な成長・成熟」です。
したがって、これは心理的な病気や症状の治療としても有効であるし、病気というほどではないけれど悩んでいる人、自分の人格を成長させたい人、人間的に成熟したい人、それらの人にも有効であるかもしれません。

また、息苦しさを感じていたり、何らかの閉塞感を感じていたり、
そういう人のヒントにもなるかもしれません。

(あくまでヒントですが…)



【全体性(ゲシュタルト)の回復】



ゲシュタルト心理療法は、精神分析医のフレデリック・パールズ(1893〜1970)によって開発され、広められた心理療法です。

因みに、ゲシュタルトという言葉は、ドイツ語で「全体のかたち」「全体性」という意味をさすそうです。

この「全体性」という言葉が示すように、ゲシュタルト療法には、「自我と肉体の分裂状態からの回復」、「自我と肉体の橋渡し」という意味合いもあるようです。
いろんなピースを集めた全体像、そういうイメージもあるかもしれませんね。
あるピースにこだわるあまり、全体像が蔑ろにされているとか、あるピ−スの重さに、全体のバランスが崩されているとか、そういう状態からの回復も、「全体性」には含まれるかもしれませんね。

現代社会に生きる我々は、自我と肉体のつながりを無くしがちな面があります。
理性的に生きるあまり本能的要素を殺してしまったり、社会性を優先させるために人間性を殺したり、それゆえにパンクしたり、感情を抑えつけた挙句に抑えきれず爆発させてしまったり、そういうことも多いように思います。
あるいは、もっと個人的な理由で、ある種の感情が切り離されていることも、あるかもしれません。

そういう、「理性と本能の分裂・乖離(かいり)」、「自我と肉体の分裂・乖離」というもの、
「自分の一部と、自分の全体像」「一部の感情と、心の総体」、
「一部と全体」「個と全」、
そこに「橋渡し」をつけようとするのが、ゲシュタルト療法の狙いでもあります。





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【ゲシュタルト療法の九原則】 



では、具体的に「ゲシュタルト療法の原則」を見ていきましょう。


第一原則:『今に生きる』

・過去に囚われすぎることなく、今を生きようとします。
・未来に対する不安に囚われるばかりでなく、今を生きようとします。
・ともかく、今を生きます。噛みしめます。


第二原則:『ここに生きる』

・何かをしているのに、家庭のことや、仕事のこと、
 ある特定の人のことばかり考えてしまう、
 ――そうではなくて、目の前のことと向き合います。
・ともかく、ここに生きます。


第三原則:『想像をやめて、現実的に物事をとらえる』

・悪い想像ばかりして、不安になったり、気が沈んでしまう、
・良いことばかりを想像して、実際に行動しない、
 ――そうではなくて、現実問題と向き合います。
・ともかく、現実的に物事をとらえます。


第四原則:『考えることより、感じることを選ぶ』

・あれこれ考えるのではなくて、自分が何を感じているかに目を向けます。
 (頭で考えた制限をなくして、直接感じたり、味わったりします)
・ともかく、直接感じることを選びます。


第五原則:『判断するよりも、表現する』

・こういう考えは駄目と判断する前に、とりあえず表現してみます。
・自分を取り繕ったり、正当化したり、相手を誘導したり、気遣ったり、
 ――そうではなくて、ありのままの自分を表現します。
 (信頼できる相手に表現するのがいいでしょう)
・ともかく、表現してみます。


第六原則:『不快な感情も受け入れる』

・嫌なことを避けてばかりではなく、ともかく向き合ってみます。
 (そこから見えてくるものも、あるかもしれません)
・ともかく、嫌なものや避けたいものも受け容れてみます。
・快・不快はともかく、自分は何を感じているのか、受け止めてみます。


第七原則:『権威者を作らない』

・誰かの言うことを盲信してしまう、すべて従ってしまう、その人の指示を頼ってしまう、
 ――そういう人を作らないようにします。
・ともかく、身近に、権威者を作らないようにします。
・誰かにすべてをゆだねるのではなく、ゆだねられる己を育てます。


第八原則:『自分自身に責任を持つ』

・自分のことを棚上げしたり、誰かのせいにするばかりではなく、
 自分の言動・態度など、自分のしたことに責任を持ちます。
・ともかく、自分に責任を持つように心がけます。
・そのために、自分が選択しているという、意識を持ちます。
(人に任せるのも、選択です)


第九原則:『自分自身であろうとする』

・誰かに作られた自分ではなく、ありのままの自分であるようにします。
・誰かをうらやんだり、誰かの真似をしようとするのではなく、自分らしく生きようとします。
・何より、(たった一人のかけがえのない)自分であろうとします。




このように、徹底的に「今」に目を向け、「今」を体験しようとするんですね。
それによって、表と裏のギャップを修正するんです。
何が表で何が裏かというのはともかく、例えば、
「表:思っていること」と「裏:していること」とか、
「表:思い込もうとしていること」と「裏:内から溢れてくるもの」とか。
(こういうのは、どちらが裏で、どちらが表か、捉え方によって違いますが…)

時に、人の意識は偽ろうとしますが、意識ではコントロールできない感情なり何なりは、そのまま現れようとし、それは表情になったり、声になったりして、人間の表面に現れてきます。
それを「今」を感じることにより、捉え、いろんなことに気づいていこうというのです。

いきなりこのように生きろといわれても難しいと思いますが、
少しずつでも、こういう生き方ができると、徐々に人間的に成長できるかもしれません。
少なくとも、今を生きることができるようになってくるんでしょう。
感触と気づきってやつが、出てくるんでしょうね。

我々は、過去にこだわったり、今の不幸の原因を探したり、何故? 何故? と、自分や周囲を責めたりしがちですが、それだけでは堂々巡りで何も変わらないような時、
このような生き方により、「今」や「ここ」、「表現すること」や「(ありのままの)自分自身」を大切にすることで、新たに得るものがあるかもしれません。
また、生きるのが楽になる面もあるのではないでしょうか。
目詰まりのようなものも、取れるかもしれません。
あるいは、「今」というものに方向転換することで、見逃していたものに気づくかもしれません。
それにより、より全体を眺められるかもしれませんね。
そして、総体としての、自分に落ち着いてゆくのです。

今は苦手な、「今を感じる」ことや「今を生きる」ことを、少しずつ体験することで、
自分というものに気づいていき、つながりを回復し、一番ほしがっていたものに気づき、
声に出し、行動して、
今まで囚われていた、パターンや環を壊していくんですね。

ただ、このような法則にあまりに囚われすぎても、自分自身を失ってしまうかもしれませんから、注意が必要です。
そのためにも、信頼できる人や、専門家と共にやる方がいいかもしれません。


まあ、これらはあくまでヒント、
答えはその先です。





私は私のために生きている。
私は誰のために生きているのでもない。

私は誰にもゆだねない。
私は己にこそゆだねる。

あなたはあなたのために生きている。
あなたは誰のために生きているのでもない。

あなたは誰にもゆだねない。
あなたはあなた自身にこそゆだねる。

そんな私だからこそ、あなたのためになり、
そんなあなただからこそ、私のためになる。




今、何をしました?
今、何を感じました?
今、欲しいものはなんですか?





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